先日

遠い親戚の納棺式に行ってきた

親戚と言っても遠すぎて

私はその方に一度も会ったことがなかった

 

そんな私が

納棺式に参加していいのか

失礼に当たらないのだろうかと

現地に到着してもずっと悩んでいた

参加の経緯はここには書かないけれど

とにかく出席させていただく流れになったのだ

 

納棺式

亡くなった方の着替えやメイク

旅支度を整える儀式だと認識している

 

過去に一度だけ

学生の頃、祖母の時に参加したことがある

おくりびとの映画を見ていると

なんとなく察しがつくのだが

本当に、そんな感じだ

 

亡くなられた方は

とても綺麗な顔をしていた

笑顔だった

祖母の時もそうだったのだが

たぶん表情を整えてくれたのかもしれない

 

着替えやメイクを親戚一同で行った

寝返りを打たれた時

独特のにおいがした

祖母の時にも

嗅いだことのあるにおいだった

 

喪主の方にも

私は一度しかお会いしたことがない

震わせている小さな背中

悲しんでいる人がすぐそこにいるのに

かける言葉がどうしても見つからなかった

 

馴れ馴れしいと思われるかもしれないけど

黙って背中をさすることしか出来なかった

本当に

かける言葉が出てこなかった

 

生まれた瞬間から

人は死に向かって生きていく

誰でもそう

お金持ちだろうが権力者だろうがみんな同じ

 

その間の

有限で与えられた「時間」という貴重なモノを

どのように使うかで旅路は変わる

 

私は亡くなられた方を見て

きっと幸せな人生だったのだろうなと思った

 

これだけ親戚がいて

集まってくれる人たちがいて

泣いてくれる人たちがいる

そして

死後の世界へ旅立つ準備を

丁寧に丁寧に行ってくれる人がいる

 

いっぽうで

そうじゃない方もいる

旅支度もなく

三途の川を渡るのに必要なお金の紙を

握らせてもらえない方もいる

 

いろいろなことを考えさせられる式だった

大事なことだけど

目を背けたくなる死というもの

 

絶対に避けられないのに

自分には関係ないような

そんな感覚をおぼえることさえある死

 

でも

いつも隣にあるものなんだ

生きている限り

死はいつだってすぐ隣にある

いつ「はい、そこまで」って言われるかわからない

 

魂は死なない

肉体が終わっただけ

 

スピリチュアルの方はよくそう言う

 

私は怖がりだから

それを信じて生きている

自分自身が明晰夢を見たり

不思議な体験をしてからは

更に強く信じている

 

でも根本にあるソレは

死んだら終わり

それが怖いという気持ちだ

 

魂は死なない

生まれ変わりはあるんだと

本当の本当にあると

知る方法があればいいのに

 

誰かが言ってても

信じたい気持ちと怪しむ気持ちが常に交差する

 

自分で知りたい

誰が言っていたどうのじゃなくて

自分自身で確信を持ちたい

少しでも

恐怖と不安を減らしたい

 

まあそれは

UFOを見るより難しいだろうけど

 

どうせ死んだらわかることだから

今知る必要はないのかもしれない

それはわかっている

 

でも知りたい

 

理由はやっはり死が怖いから?

 

・・・違う

 

それよりも

死ぬ直前に感じると思われる苦痛や恐怖が怖いのだ

私は、それが何よりも恐ろしい

 

そんなこんな考える日だった